プレリュード③

 織田は完ぺき主義者であり、そして潔癖主義的なところがある。その織田の辞書には「拙速」という言葉はない。スピード重視の織田だが、手抜きでもいいから早くやれということには決してならない。「速く、そしてパーフェクトに 」というのが常日頃からの指示である。

 だから織田からの指示・命令があると、何をさておいてもまずそれを速く完全に推し進めなくてはならない。それができないと自分の首が危うくなる。その対象はたとえ副社長でも平社員でもまったく差はない。織田の目には社員全員が横一線で並んでいるのである。

 織田の潔癖性の事例としては、公私混同禁止や取引先から接待をうけることの禁止、中元・歳暮などの贈答品の受け取り禁止といったことから、床にごみが落ちているとそれを拾うことにいたるまで社内の行動すべてにかかわっている。

 そしてそういったことを自らも実践している。もし取引先から何か贈られてきた場合は秘書課に命じて返却させるか社員に公平に分け与えるし、もちろんごみが落ちていれば自らかがんで拾い、自社の商品購入に際しても自ら注文し代金を振り込んでいるというように、公私混同をしない姿勢を見せている。

 早瀬は前職のスーパー時代に、トップから末端に至るまでの公私混同振りをいろいろと見てきたことでもあり、織田に対する尊敬の念は高まっていた。そのあたりは同じ創業者でもまったく違うのだ。

 さて、宝石貴金属の目利きをいまでも自負している織田は通信販売会社を創業するときに、サファイアのフランス語であるサフィールを社名とした。当初は漢字の社名を考えたようであるが、女性をターゲットとする上においてはフランス語の持つ柔らかさやモダンさやセンスを取り入れようと、県立図書館で探した案の中から選んだという。

 もう一つの理由としてはその頃、あるマーケティングの専門家が「社名の頭文字にサシスセソが付くのは盛業になる名称」といっていたのもヒントとなったらしい」

 そして創業して20年、いまでは業界トップ企業となりマスコミにもたびたび登場している。 しかし移り行くの世の常、サシスセソにも時効があるようで20年たって見るとデパートやスーパーなどサシスセソが頭に付く有名な会社のいくつかが、すでに倒産や合併、あるいは会社がなくなっていたり、経営が傾いてきている状況が見える。サ行のトップ企業ともいえるソニーにしてからがひところの勢いが見られなくなっている。

 幸いにもサフィールはいまのところ順調であった 。女性の実用衣料品をメインにしてきたのが幸いしたといえる 。よい品質と低価格、巧みなコマーシャル、顧客の声を真摯に受け止めて対応する姿勢などが支持を受けてきたのだと思う。

 早瀬はそんなことを思い浮かべながら階段を上った。(冗談にでもサシスセソのつく会社の多くの、その後の有様を社長の前で言ったら首が飛ぶだろうな) と思い、おもわず後ろを振り返った。竹中がVAIOを抱えて少し遅れて付いて来ていた。