十二.フィナーレ ④

 三月に入って春物商戦が本格化し、部内は活気が出てきていた。夜間受注や外部委託なども順調で、いまのところクレーム類も減少していた。久しぶりに下通りで堀と待ち合わせて焼き鳥屋に入った。

 堀からは本社の情報を得たり、社長の動向を聞いたり、堀との飲み会は単に気晴らしでなく貴重な情報収集の場でもあった。もちろん情報を得てどうのということではないが、本社から離れたところにいると「普通」の情報でさえなかなか入ってこないのである。

「結婚したころ、最初は大阪でいう文化住宅というのに住んでいたんだけどね、家が暗いし前の道が狭くて吹田の建売長屋に引越したんだ」

文化住宅というのは聞いたことがありますね。あれは大阪だけの名称でしょう」

「もともとは戦後の住宅ブーム時代に作られた文化的な家というものかもしれないが、だいたいが二階建てでマッチ箱を縦にしたような家だった」

「へえ、それでその建売長屋っていうのはどういうのですか」

「私が住んでいたのは真ん中に空間があってその周りにコの字型に長屋が取り囲んでいる形なんだがね。両側に四軒、奥に二軒の家があったね。その両側の四軒、奥の二軒はつながっているので長屋というんだが」

「はあ、それがどうしたんですか」

「その真ん中の空間の下は共同の浄化槽でね。十軒分のだから大きなものだったと記憶しているが、あるときその浄化槽が詰まって、業者が来たんだ。業者もこの大きな浄化槽が詰まるなんて考えられないし、何かよほど大きなものを流したのと違うかっていうので調べたところ、なんと大量の使用済みのコンドーム、つまり中身入りのが原因らしかった。そこで誰だ、こんなトイレに流して、しかもこんなにたくさん!という声が出てきてね。業者の言うには『奥の二軒の排水口からのようだ』とのことだった。その奥の家の1軒は中年の夫婦でもう一軒は新婚の調理師さんだったんで、その新婚さんだろうってことになってね。『掃除代などをあの家に請求せよ』という声が巻き起こって、代表役の人が訪ねていったんだが、相手も元気な男で『知らぬ存ぜぬ』。結局金を払わずに急にどこかへ引っ越していったことがあったね」

「その後は詰まらなかったんですか」

「その後は大丈夫だったからやっぱりあの新婚さんだともっぱらの噂よ」

「口さがないかみさん連中は『うちもあれくらい使ってほしいもんやわ』とだんな連中に責め寄ったという後日談があったな」

「新婚さんてのはすごいもんですね。しかしひょっとしたらその新婚さんてのは部長のことでは・・・」

「何を馬鹿なこと言ってんだよ。そんな元気があればもっと・・・」

「もっとなんですか?」

「いやいや」 

「そういえばその同じ絶倫タイプで嫌われ者の広瀬部長の話聞きましたか?」

「あの部長、絶倫で嫌われ者か? 仕事はやり手のようだけど。なんだい」

「仕事はできるばってん、口が悪くて部下からだけでなく同じ本部内でもかなり嫌われているんです」

「この会社じゃおとなしい人は生きて行けないか」

「その広瀬さんですがね、大の蛇嫌いで、でもって天罰が当たったってもっぱらの噂ですよ」

「穏やかじゃないね」

「ご本人の奥さんが『会社を休ませてください』と電話をかけてきたので間違いは無いんですが、先日の夜、何か会合があったらしくて飲んでタクシーで自宅に帰ったらしいんですが、門の鉄か鋳物の扉をいつものように扉の上の横に長い部分を握って開けようとしたら、柔らかなものをつかんで腰を抜かしたそうです。大きな蛇が横に長くなっていた様なんですがね。びっくりしてワァって大声で叫んだらしいです。いつも金属の感触に慣れていたのが、いきなり細長い柔らかなものをつかんだら誰でも驚きますがね。酔っていて腰を抜かしたらしいですよ」

「そりゃ誰だってびっくりするだろう」

「深夜に大きな声がしたので近所の人まで出てきて大騒ぎって事です」

「それで腰は大丈夫だったのかい」

「奥さんが救急車を呼んで連れて行ってまあ何とか大丈夫だったようですが、近所の人が大笑いというか」

「それはかわいそうだぞ」

「近所でも評判が悪かったらしくて、こういうときに陰口をたたかれますね」

「お互い気をつけねばな。あまり人のことばかり行ってると、君の家の門戸にも蛇を置かれるぞ。そうそう蛇といえば、物流本部でも大騒ぎがあってね」

「へー、何です」

「二月の寒い日のことだったけど、うちのオペレーターの女の子が遅番勤務が終わって夜の九時半ごろに駐輪場のバイクに乗りに行ったんだけどね」

「女の子の遅番は大変ですね」

「事故でもあるといけないので遅番はできるだけ絞っているんだけどな。その子がバイクに鍵を入れてふと見るとバイクのエンジン部分だかに何か黒い紐のようなものが巻きついているので何だ、と思って取り除けようとしたら、ぐにゃとした感触で『キャー』さ」

「それは驚いたでしょうね」

「あわてて警備室の守衛のところに行ったんだが、そのときの警備員がこれまた蛇嫌いで」

「役立たずですか」

「彼はほかの巡回中の警備員を至急警報で呼び出したんだが、その至急警報は全館にサイレンが鳴ってね。物流本部でまだ残っていた幹部社員らが大慌てで、確認せずに警察へ連絡したりして、パトカーが飛んできたりで、蛇一匹でパトカー数台の大騒ぎさ」

「馬鹿みたいですね。で、結局、蛇のほうはどうなったんですか」

「緊急呼び出しを受けたもう一人の警備員は蛇の警報なんてわからないので右往左往。守衛室の警備員はパトカーの姿を見てこちらもびっくり。『何があったんですか』と警官に聞く始末。警官はそちらが呼んだのにとカンカン」

「漫画ですね」

「女子社員はにぎやかになったのでもう一度バイクのところに行くと、もう蛇はいなかったらしくてパトカーの横をバイクで帰って行ったとさ」

「何ですかそれは」

「警備員と警察に事実を確認せずに通報した社員はあとでこっぴどく本部長に叱られたらしいよ」

「なさけなか」