十二.フィナーレ ⑤

 この部に着任して九ヶ月。本社から離れていると堀からの情報が最も頼りになっていた。その堀から相変わらず投書が多いということを聞かされていたが、多分その中には早瀬に対する投書も多いのに違いなかった。

 いろいろな新しいことを実施し、それなりに成果が上がっているという自負はあったが、それは自分の自己満足かもしれない。部下の次長や課長にしたって、面従腹背的なところがあるのは確かだろう。

 夜間の電話受注体制ひとつとっても喜んでいる社員は少ない、いや誰もいないかもしれない。以前なら夕食は家族そろって食べられたし、若い社員にとっては夜のデートもいつでも可能だったのが、シフト制とはいえ夜遅く帰る日が週に一日か数日はある。シフトをうまく組んでできるだけ時間外勤務とならないようにしているので実入りも少ないだろう。本人たちにとってはまさに労働強化のように思えているかもしれない。

 パートタイマーの主婦にとっても家庭のことを考えると少々の割増賃金では喜んではいないだろう。新規採用のアルバイトだけはその勤務時間を初めから承知の上だから、多分問題は無いと思う。だから早瀬に対する投書が少ないわけが無いと思っている。しかし今のところ早瀬に対する投書の有無を本部長からも、堀からも聞いていない。

「そんなわけないだろう」思わずつぶやいた。

もちろん部内ではできるだけの手を打ってきたつもりだ。

 たとえば、一番人数の多い、そして投書を仕事の一つと考えているパートさんに対しては、班毎に月数回約1時間程度の会合を開いてきた。もちろん勤務時間内で、茶菓子も自腹で用意した。できるだけリラックスした雰囲気に持って行くようにして、女性課長や女性主任などに司会させ、その場では早瀬が話すことは極力控えて、聞き役に回った。

 最初は用心して沈黙が長かったが、二回目、三回目となるとそのうち発言が活発になってきた。その発言も最初のころは要望が多かったが、そのうち不満も声に出していうようになった。ただし、ここにいない人の悪口はいわないようにと釘をさしてはいた。

 要望については早瀬が自分でできることはすぐにやるようにし、部としての問題は部内会合で課長連中に検討してもらった。物流本部全体にかかわることは本部長や関係部長と話しをし、できることは少しでも実施した。そういった解決への努力や状況は朝礼でできるだけ公にし、聞きっぱなしで終わることの無いように努めている。

 パートさんの社員カードを見て驚いたことがある。地元の農業のおかみさんが多いのではと予想していたら、サラ―リーマンの主婦が最も多かった。しかも中には前職が大手銀行や大手商社に勤務していた人が出産で会社を辞めたり、主人の転勤で熊本に来ていたり、また英語や経理等の特技を持っている人もいた。いわば大変な人材を抱えているわけだ。

 といってそういった人に声をかけたりすると、それをねたむ人が必ずいることを経験で知っていた。

 スーパー勤務時代、店の幹部でいたころ、レジ業務を見回ってチェックしたりするときには必ず全員に声をかけるようにした。いまならセクハラで訴えられかねないが、レジ係のお尻を触ったり肩をたたいたりする場合には「するなら全員にする」、たとえ相手が嫌いなタイプでも同じようにすること。そして逆に「特定の一人だけにするようなら、全員にしない」つまり、話しやすいとか可愛い子だけに話をしたりすると噂になり、仕事がやりにくくなるだけでなく彼女らのやる気に影響しかねないのである。だから自分なりにそういう鉄則を作って守ってきた。

 そこで声かけだけはレジで接客中以外は平等にしてきたし、コミュニケーションを図るために休憩時間に外でお茶を飲むときには、手帳にレジ係全員の氏名を書いて漏れが無いようにした。これぐらいしないと女性が多い職場では一波乱の種になるのである。サフィールのような投書制度こそ無かったが、余計な噂が出たり人事に通報されたりということがあるのである。

 だからサフィールでもテレフォンブースを見て回るときにも非常に用心して歩いた。通路を歩くルートは漏れが無いようにした。同じ通路を何度も歩かないことも大事だ。そうするとたちまち「あの通路にいる誰かに関心がある」と勘ぐられてしまいかねないのだ。

 回っているとオペレーターの中にはわざと大きな声を出して応対したり、耳と手を休めてじっとして声をかけてもらうのを待ち構えるような雰囲気をしていたり、中にはわざとスカートをたくし上げていたりといった誘惑的な場面に遭遇することもあるが、全く平然と歩くようにしていた。

 さて、そういう前歴の優秀な人や特技を持っていることはわかってもそれを不用意に皆の前で口に出すと、それはまたあらぬ憶測を生む。早瀬はできれば彼女らの特技や前歴を生かせればと思っているが、なかなかみんながすんなりと受け入れてくれる方法が見つからなかった。ところが思わぬところから一つの突破口が見つかった。