三.たてがみ ⑤

「僕が来てからも異動が多いけど、まったくひどい話だね」

「次長の場合は部長が教えてくれなはってよかったと。社長一人で判断して役員や部長にも知らせないこともあるばってん」

「社内では廃止の声は出ないの?」

「一昨年でしたか、副社長が朝礼で、投書する時は名前を書き事実に基づいて書こうといわはれましたが、社内では社長にだけ目が向いていますばってん、効果はなかったんじゃなかと。どんこんならん」

「しかし、こんな会社初めてだな。せめてうちの部だけでも投書しないようにしたいもんだ」

「実はこんな話もあると」

  口の端に焼き鳥のソースをつけながら声を潜めて言いはじめた。堀はいい男だが、食べ方が汚いので閉口する。口の周りが汚れたら気づきそうなものだが無頓着だ。それにテーブルの上はソースやキャベツの断片なんかが無惨に散らかっている。

「次長の入社される前に、商品部にもっこす部長がおらして、その部長も人材会社経由で入ってきたと。入社して三年ぐらいたった頃たい、二〇何度目か三〇何度目かの投書をされたばってん。辞める前の最後の投書だったとたい、社長が投書を読んで部長を電話で叱ったそうですたい。いわれの無いことを叱られたもっこす部長が、辞表を懐に社長室に乗り込みなはって、こう言いとったつ」

「見てきた様なことを言うね」

「社長室はいつも秘書課や決裁待ちの人がごろごろしちょって、今日何が有ったということは逐一耳に入るばってん」

「まったく、こんな会社も珍しいね」早瀬は生ビールのお代わりを注文しながらつぶやいた。

「そこで肥後もっこすの言わっしゃった言葉がよかたい。『社長は本人の私が言うことと、無記名の投書とどちらを信用するんですか』そこで社長が何と答えたと思っとらす」

「そりゃ当然、部長のあなたを信用する、だろう」早瀬は織田の声色を真似て言った。

「ところがばってん、社長は一言『投書を信用する』ですと。部長は懐から辞表を取り出してデスクに叩き付けて出ていったという話たい。あん時やかっこよか部長という話がもちきりだったたい」

「ほう、そんなことがあったのか。すごい話だね。部長も毅然として立派だが、社長がそこまで投書を信用しているとは知らなかったな」

「そうたい」

「しかしそれにしても恐い話だな」

「社長はわれわれを全く信用しちょらんと」

「例の監視カメラの件を聞いても、社員を信用していないのは事実だろうな。さみしい話だね。社員を信用してないと、会社そのものもある程度成長に限界が出ると思うがな」

「それにしてもよくぞここまで大きくなったもんたい」

「それは君たち生え抜きの力も大きいんじゃないかね」

「うれしいことを言ってくれなはる。今度社長に言っといてくだはい」

「酒の席でこんなこと聞いては失礼かもしれないんだが、仮にも上司としてまたいかに親しくてもこんなこと聞くのは失礼かも知れんが、君がまだ係長ていうのはどうしてかな」

少しくどい言い方だったかなと思いながら、早瀬は気になっていたことを聞いた。

「良くぞ聞いてくれなはった」

「社歴は古いし、人脈を持ち、実力も有るのに、何か悪いことでもしたんとちゃうかい」

「何ばいっとるとですか、あげたりさげたり」

「いや、前から気になっててね、いずれ部長に訳でも聞こうかと思っていたんだが」

「部長には聞かんとって下はい。実はあたしが課長の時に部長が入ってきたと」

「どこへ」

「うちの会社へ」

「ヘエー、君は課長だったのか。そんなこと誰からも聞かなかったぞ」

「いやー次長は知っちょるとおもってたと」

「いやいや、それは失礼しました。部長も君のことはあまり話さないし、君の人事カードも見た記憶が無いし。しかしどういうことだい」