三.たてがみ ⑥
「五年ほど前たい。課長だった時にいまの部長が平社員で入社してきたと。前の会社は福岡の小さなスーパーの子会社の婦人服チェーン店の、それまたちっちゃな店の店長ばってん。入ってきた時は『こんな男、使い物にならんと』と思ってたたい。ばってん初めのうちは雑用やらしとったとですがね」
「やらしとったんですか」
「いやいや、してもらったとたい。あるとき、この中年の新入社員が何を思ったか社長宛てに投書をしたと。投書と言っても例の非難中傷でなく、他社の攻勢で売り上げがダウンしたときたい、その対策を提案したと。なあに、思いつき的な提案らしかと、それを社長が読んで、なんと気に入りなはったと。そのあとすぐにカタログ部に配置替えたい。そこで今度はカタログの効率を計算する仕組みを考えたばってん」
「ああ、カタログ効率表ね。あれはスーパーや商店の坪当たり売上高・棚あたり売上高といった効率計算をそのまま応用したものだけど、部長が取り入れたのか」
「考えてみれば簡単なもんたい。それまでは誰も気づかなかっただけのこつ。あたしも」
「アメリカの通販関係の本を読むとカタログの効率ということで同じような計算式があるね。非常に単純に言うと、カタログを制作する費用は当然分かるので積算して、それを総ページ数で割ると一ページあたりの費用が出る。そのカタログの一ページに掲載する商品でその経費を賄えるかということだな」
「そうですたい。カタログの制作費の合計が二億円として、二〇〇ページとすると、一ページあたりの制作費は一〇〇万円ということになると。そのページに一アイテムしか掲載してないとしたら、その一アイテムでその経費を賄えるかということですたい」
「商品毎に粗利益率は違うが衣料品で三〇%として、一〇〇万円割る三〇%で三三三万円あまり。つまりその商品で三三三万円以上の売上げが必要ということになるな。しかしそれは単にカタログ製作に直接かかる経費をカバーするだけで、人件費や配送費やもろもろの経費を考えると、その二倍は売らないと会社としては利益が出ないだろう」
「まさにそのとおりですたい。それで、社内的にはカタログ経費の二倍を設定していると」
「部長もたいしたもんじゃないか」
「その点はかぶとを脱ぎますたい」
「それで部長になったのか」
「何の何の、最初は社長室の秘書課長に抜擢されて、そこで二年くらいいなはって、その間にあのポーカーフエースに磨きをかけたとばい。ところがあたしのほうは部下の不祥事、不倫騒動やらサラ金破産者が相次いで、監督不行き届きでどろかぶって物流本部の平社員に急降下。左遷ですたい。その後、本社に戻されて新設されたマーケティング部の係長というわけたい。どぎゃんもこぎゃんもなか。あきるるのはその部長がなんと木下で」堀はジョッキを空にして代わりを注文した。
「そうか、そうだったのか」堀の気持ちがわかるような気がした。
「部長、マーケティング部ができてまだ短かかと、ばってんマーケティングって本当のところどげな考え方なんたい」
「マーケティングの4Pとかいう言葉もあるけど、学者によって考え方が違うようなんだが、そうそうこの前、ネバーランドっていうビデオを子供と見ていたんだけど、これは勉強になったね」
「ネバーエンディングストーリーのことたい」
「いやいや、ネバーランド。ピーターパンの作者の物語なんだよ」
「伝記ものじゃなか」
「ピーターパンという物語を生み出した過程を描いたものだけどね。作者が付き合っている家庭の子供たちの遊ぶ様子などを綿密にメモして、それを膨らまして物語り化してね、それを始めて上演するときに施設の子供を招待することにしたんだ。ところが初演の客というのはいつも同じような客、つまり金と暇のある初老の夫婦やいかめしい経営者が中心で、そういった観客に子供の物語が受け入れられるのは難しいと作者が思ったんだろうね。初演の評価がその後の客の入りを左右するから非常に重要なんだ」
「へえ、施設の子供を招待しても、ほとんどがそういった客ならどうしょんもなか」
「いまでも招待客となると一区画にまとめて座ってもらうというのが普通だろ」
「そうたい。そのほうが座席の管理しやすかですし」
「劇場の支配人もそれを考えていたようだったんだが、作者はその子供たちを気難しい大人のお客の中にばらばらに座らせたんだよ」
「なるほど、それは面白か」
「その当時は子供たちの娯楽ったってテレビも映画も無い時代だから、子供向けのお芝居といっても施設の子供には見る機会なんかめったに無いことだったんじゃないかな。それで子供たちは芝居を食い入るように見て、ストーリーに引きこめられて面白いときは素直に声を出して全身で笑うというようになったんだ」
「子供は気に入った内容だと夢中になると」
「そうするとその周囲の気難しそうな客は影響されて次第に子供と一緒になって笑ったりするようになったんだね」
「なるほど」