十二.フィナーレ ⑦

 二日後、堀から携帯に電話が入った。だいたい携帯で電話をかけてくるのは妻か真弓ぐらいなものなので、端末の表示に堀の名前が出ているのを見て一瞬、驚いた。

「部長、いまいいですか」

「なんだ君か、携帯に電話するとはどうしたんだ。ちょっと待って、廊下に出るから」早瀬は静かに、急ぎ足で廊下に出た。

「もしもし、いいよ」

「部長、投書されたんですってね」

「また、投書されたか、いやになるね」早瀬は以前の苦い記憶がよみがえった。

「いえいえ、部長が社長に」

「え、おれが」何のことを言っているのかわからなかった。

「いやですね、部長が投書制度について何か文書を出したんでしょ」

「あぁ、あれか」一昨日(おととい)、物流本部玄関横の投書箱に思い切って入れたのである。

「いまこちらでは嵐の前の静けさってところですよ」堀は心配そうな声であった。

「あれについては一度君と話したこともあるけど、やはりいつまでもあの制度を続けるわけには行かないだろうと思ってね。通常のルートで進言すると本部長にご迷惑がかかるので、投書制度のいい点、つまり社長が直接読むということに目を付けてね、十分考えた上でのことだよ」

「秘書課の話では社長はいつものようにご自分で投書箱を開けて、読んでいかれたようなんですが、物流本部からきた投書箱を開けたあと、顔色が変わったって言ってましたよ」

 早瀬は(これは降格かクビだな)と直感した。

「そうか」それだけ応えるのが精一杯だった。ちょうどそこへ斉藤が「部長、お電話が入っています」と探しながらやってきたので、堀からの電話を切った。

 いずれ社長か本部長か誰かから何かお達しがあるかと思っていたがその後、数日たっても何の音沙汰もなかった。堀にひそかに電話して聞いてみたが、その後社長は何も言わず社内は普通の状態だとのことであった。投書制度についての動きも見られなかった。

 1週間ほどして真弓に連絡を取り例の店で逢った。真弓が「結婚できる人は良い」と言っていたのが気になったのである。社長への投書のこともありそろそろ決着を付けねばと思っていた。水割りをグィっと飲んで、「もう付き合うのは止めよう」と思い切って言った。(泣かれたら困るな、大声出されたら困るな)という不安はあったが、どういうことだろう、真弓は泣きもせず、怒りもせず、もちろん笑いもせずに黙ってうなずいた。あとは何を言えばいいのかもわからず早瀬は黙っていた。真弓も黙っていた。ママも気配を察知したのか寄ってこなかった。この店では珍しく有線放送で演歌が次々と流れた。曲がたくさん流れた後、真弓は「もう帰ります。これまでありがとうございました」といって、寂しそうな笑顔で先に出て行った。早瀬は演歌を聞きながらまだしばらくそこに座っていた。