十一.クレームの秋 ⑦

「真弓っちゃん、これは穏やかならざる発言たい」

「生駒さん、問題発言だな」竹中も同調した。早瀬は一瞬ドキッとする思いがした。

「いいえ、なんでもありません。そう思っただけです。もっと飲みましょう」

「あやしいばってん、このところ仕事でもミスしたり、なんかあるたい」堀が詮索の言葉である。早瀬は話題をそらそうと努めた。

「堀さん、この前言ってた例の件ね、どうなった」

「何でしょうか」堀は改まった声で返事をしてきた。

「もう忘れたのかい」

「なんば言わなはってると、またくおぼえてなかと」

「君は物忘れがひどいんとちゃうか、まだそんな年でもないだろう」

「そんな言い方はひどか。誰だって忘れることはあるたい」

「そりゃ人間は忘れる動物って言うからね。しかし君はいつも人の話をしっかり聞いていないんじゃないか。だから忘れるんだ」

「聞いてますよ」

「とっとの三歩ていうことばを聞いたことがあるか」

「いえ、なんたい、とっとって」

「鶏のことだけどね。鶏は三歩歩くと忘れるって言う意味だ」

「ホントですか」

「心理学者の調査によると、鶏は前方のえさを見てそこへ行こうとして三歩あるくと、いま自分は何をしにどこへ行こうとしているのか忘れるらしいね」

「冗談たい」

「いやこれは専門書に書いていた」

「えー、そうですか」真弓も笑いだした。

「だから君の物忘れを見ると、いつもとっとを思い出すんだよ。確か君は酉年だったしね」

「ひどか、それはあまりにひどか」

「堀さん酉年だったの」真弓も機嫌を直したらしく、後ろにのけぞるようにしながら笑った。

「それはそうと、先日、社長の健康診断結果表が配布されたね」

「あれにはさすがの私も驚いたと」堀が顔を膨らしながら言った。

「私の入社以前には無かったのかい」

「初めてたい。あげなの」

「添付されていた通達文書には『社長はこんなに元気だから安心して業務に励むように』とあったが、何かあったのかな」

「実は」情報通の顔に戻った堀はしたり顔で声をひそめた。

「やはり何かあったのか」竹中も知らないらしく顔を近づけてきた。

「ばってん、投書があったらしか。社長がこのところ元気ないようだ、身体の具合がよくないのかも、そろそろ後継者が話題になるかなんてある部長が言ってなはったとかいう」

「そうか、投書か? しかし社長は今日も決裁で、元気一杯叱りとばしていらっしゃったよ」竹中がまじめな顔をして首をかしげた。

「その部長には何のお咎めも無かったたい。ばってん、社長ご自身の中でなにかあったのかもしれんとが、元気なことを社内に示しておこうということではと思ってるたい」

「社長ご自身の中にね~。堀君は心理学者だからな」

「何をいいなはとっと」

「そうですね、なにかあるからこそ、こういったことをされるんじゃないですか。それ、火のないところに煙は立たないってよく言われますからね」

「課長も気にならはっと」

「そりゃ、社長あってのサフィールだよ。部長、そうしますと逆に心配になりますね。実はこんな話もあるんですよ。人事部のものが言っていたんですがね、四十歳以上の社員の健康診断が先月行われましたが、なんと九割の人が内臓をやられているようですって」

「ほ~、ストレスが原因か。幸い俺は大丈夫と思うけど」

「そうすると、管理職のほとんどが再検診組だと言うことで、しかし社長の私は大丈夫だよということをおっしゃっているのでしょうかね」竹中がしたり顔に言う。

「ピンポンだな、そんなところだろう。ま、堀君はストレス無縁だろうが」

「何言いなはっと。めっそうもなか。あたしゃ、ストレスのかたまりたい」

 早瀬は(気の知れた仲間との酒は楽しいな)と思いながら、気になってそっと真弓の様子を見た。だまって笑みを浮かべて話を聞いているようだったが、しかしそれは早瀬には何か脅威であった。