七.足の細い女 ⑨
「おいおい、目刺しが欲しいならママに言えよ。ママ、目刺し好きがもう一人いたよ」
ママはグループ客に生ビールを運んでいたが、こちらを見て笑顔で軽くうなづいた。
「部長、目刺しより重大な問題が」
「おい、マーケティング部のことは聞かないよ。こちらも大変なんだから」
「冷たいですね。聞いてくれたっていいじゃないですか」
「いや、この頭の中は自分の部のことで一杯で、これ以上入らなか」
「部長の頭はでっかちじゃないですか」
「堀さん、頭を振ってごらん、音がしますか」
「何ですか、改まって、音はしません」
「じゃー頭の中はカラか」
「何を言うんですか。いや、少し音がしますね」
「脳みそが詰まってないから、脳みそがあっち行ったりこっち行ったりして音がするんだよ」
「あ、部長、ひどか」そういいながら堀は椅子からおりてトイレに向かった。
先ほどのグループの中のOLがトイレに入っていたらしく、堀は「女性のトイレは長いですね」といいながら帰ってきた。
「漏れそうなら外でしておいでよ」
「いえ、まだ我慢できます」堀は落ち着かない様子で椅子に腰掛けた。
「トイレといえばね、昔大宅壮一という人がいてね。その人が雑誌で対談しているのを読んだことがあるんだが。古い雑誌だったけど面白くてまだ覚えていることがひとつあってね」
「大宅壮一という名は聞いたことがありますね」
「東京だったか大宅文庫というのがいまも有って、マスコミの人のメッカらしいよ」
「そういえば、週刊誌や雑誌などのスクラップが揃っているので有名でしたっけ」
「そうそう。その大宅さんがね女性と男性の身体の構造の違いがその行動の違いとなって現れていると言っているんだ」
「肉体の構造ですか」
「君が言うといやらしい響きがするな」
「なんばいわっしゃるとですか」
「たとえばいまでも駅の切符売り場で行列ができているときに、良く見ると女性が自販機の前でごそごそしていることがあるだろう?」
「田舎の駅なんかに行くとお年寄りが時間かかってるのを良く見ますね」
「そう。男の場合は並んでいる間にあらかじめ行き先と料金を確認して、運賃ぴったりの小銭を用意していることが多いんだけど、女性の場合は自販機の前に立ってから料金を確認して、やわら、バッグから財布を取り出して、小銭を探すという行動をとるから時間がかかると言うんだよ」
「誰が」
「なに聞いてんだよ。大宅さんがだ」
「それが肉体と関係が有るのですか」
「大宅トイレ論によると、男はトイレに入る前から大か小か決めているから、ドアを開けたらその便器にまっすぐ向かう。ところが女性トイレには小便器などないから、別に大か小かはあらかじめ考えなくても、個室に入ってしゃがむか座るかして自然の赴くままですむんだな」
「なるほどですね」
「すなわちあらかじめ考えなくても、その場対応ですむということを連綿としてきたことがその行動となって現れているっていうんだ」
「たしかに、そういえばそうたい。それで切符売り場でその場対応して時間がかかるのですね。しかし最近は男でも立ちションでなく座ってするのが増えてきているようですよ」
「そうなんだよ。あれは家のトイレで立ってすると、便器やその周辺を汚すので奥さん又はお母さんが怒るというのが原因のようだな」
「そのようですね。だから最近の若い男は優柔不断というか、仕事しても段取りの悪いのが増えたんでしょうか」
「おい、トイレが空いた様だぞ」
堀は前を押さえながらあわてて席を立った。
マーケティング部ではいまだに早瀬の後任次長が決まらず、部長兼任が続いているようだ。堀係長の重大な問題というのは木下部長による早瀬色一掃が激しいことと、問題があると早瀬のやり方が悪かったと非難することが増えたこと、途中入社で優秀な人材が入ってくると情報を与えず遠ざけて結局辞めさせたり、稟議書についても担当者が起案したのを課長や本部長に見せずに直接社長に出すということが増えて部内だけでなく他部署からの非難轟々状態のようだ。
早瀬は憂鬱な気持ちで堀の訴えを聞き、反面、言いたい人には言わしておけばいいというような半ばあきらめの境地でもあった。