三.たてがみ ②

 消防署に勤めていた先輩からは次のような体験談を聞いたことがある。あまりに悲惨な内容に、いまでも早瀬はそのデパートの前を通るたびに思い出してしまう。

「当時、この下通りのアーケードは店の二階部分にあった。火災通報があり緊急出動して一階から進入しようとアーケードを見上げると、デパートの上層階から飛び降りてきた人がアーケードの天井にぶつかって血しぶきを上げていたのが見えた。先に飛び降りた人の上に偶然重なるように落ちた人は何とか助かって、デパートの反対側にあった中華料理店に這って行っていたが、下から見ていた新米消防士の俺は生きた心地がしなかったと。

 上のほうの窓ではスチール入りの強化窓ガラスを必死になって叩き割ろうとしている女性の姿が未だに目に焼き付いていて、忘れられんとよ。

 ようやく鎮火したというので俺も建物の中に捜索に入ったんだが、六階、七階へ行くと鎮火した筈なのにちょろちょろと火が出ているので、おかしいなと思ってよく見ると死体の脂が燃えてた。

 死体がいっぱいあるなと思って見るとマネキンだったり、マネキンだと思ってよく見ると死体だったりしたが、やはりデパートだけのことはあるなと思ったもんだ。で、マネキンと死体の区別の仕方は、こんなことをいうと亡くなった方に申し訳ないんだが、ああいう場合ではやむを得なかったので許してもらいたかったんだが、足でぽんとけって体が凹めばマネキンだ。

 あお向けの死体は腹がえぐれて、無くなっているし、うつぶせの死体は腹が残っているので男女の見分け方もそのあたりで大分わかったとね。

たくさんの焼けた死体や落下して亡くなった死体はデパートの横の市営駐車場、当時は空き地だったんだがそこへ並べてひとまず安置した」

 先輩の目は涙で潤んでいた。

「その火事の日の夜は十一時ころから雨になったんだが、その後いろいろな現象が頻発したことを覚えている。たとえば、近くのタクシー会社の運転手たちの話では、雨の夜にこのデパートの付近で客を乗せると、いつの間にか乗せたはずの客がいなくなっていたとか、俺の友達がデパート近くの駐車場で宿直のアルバイトをしていたのだが、深夜二時から三時ごろになるとドアをどんどんたたく音がして、今頃誰かと思ってドアのそばに行くと『熱いよ~』という女性の声がしたらしい。

 へんだなと思ってドアを開けると誰もいない。それが二晩続いたらしい。友達は三日後にはその宿直のバイトをやめたと。またデパートのすぐ傍のデパート所有者が持っていたビルでは毎晩深夜の一時になると非常ベルが鳴るんだ。その都度我々も出動したが、誤報だった。ばってん、なんとその誤報が一ヶ月も続いたとね」

 火災後のいろいろな出来事に関する話は市民の間ではその他にもいろいろあるようだ。

「われわれ消防に勤めているもんは、あの悲惨な出来事を二度と繰り返してはならないと、だからいまでも人の集まる施設や建物には取り締まり査察を厳重にしているんだが、人の記憶が薄れると油断している事例も多くてな」先輩の目には決意のようなものが浮かんでいた。

 火災後、デパートは改装してオープンしたものの幽霊が出るなどという噂があり、イメージダウンにより客数は減少。そのため昭和五三年に閉店となった。その後も遺族との補償交渉や裁判が長引き、すべてが決着したのはかなり後のことである。その間、有明百貨店の経営者が交代し、地元財界のテコ入れもあったが、赤字は続いたという。

 そういったときに九州地域スーパーの雄であるアイニードが経営支援に乗りだし、再度の建て直しを図った。その最中にアイニードとマンモスとの合併話があり、結局マンモスが有明百貨店を引き受けることとなった。