三.たてがみ ③

 早瀬は有明百貨店には直接関係しなかったが、同僚や上司からこういったいきさつを聞いていた。もちろん夏期休暇で熊本に帰省したときには、関心を持ってこの店の売場を歩いたものである。

 有明百貨店にはマンモスの本社から支配人以下管理職クラスが出向してきていたが、その中に偶然同期入社の浅井が業務部長として赴任してきていた。

 数年前、九月に入ってやっと夏休みをもらった早瀬が帰省したときに、売場で浅井を呼びだしてデパートの二階の喫茶室で旧交を温めたことがある。同期の連中の活躍ぶりなど互いに知っている情報を交換したあと、ふと幽霊のことが気になって彼に尋ねてみた。

「いやー、そんな噂が出とったんで、気色が悪うて」同期の気安さから関西弁まじりで話しはじめた。

「しかし夜間、店内を巡回する警備員に聞いてもそんなことはないというし。実は、昨年十二月三十一日の大晦日の夜、閉店後の年末最終巡回をさせられよって。例年だと警備員と古参の総務課長の二人で回るらしいんやけど、昨年は課長が急に年始の準備の仕事ができたいうて、警備員も人手不足で他の仕事があって、結局その部署の最高責任者ということでおれにお鉢が回ってきてしもうたんやがな」

「偶然にしては、それはおかしいな。マンモスからの出向者への嫌がらせとちゃうか」思わず早瀬は口を挟んだ。

「そうや、仕組まれたという感じがしたんやけど、怖いからいやだとも言えんからな。一人で懐中電灯を持って、屋上から地下まで夜の一〇時頃に巡回させられてしもうた」 浅井は喫茶室の中を見回したあと、声を低くして真剣な表情でつぶやいた。

「閉店巡回ちゅうのはおれも店でしてきたことがあるけど、この店の場合は特別やろな」早瀬は消防署の先輩の話を思い出しながら言った。もちろん彼に先輩から聞いた話しをするつもりは無かった。

 マンモスでは、店の管理職者は毎日閉店時の防火・防犯チェックを義務付けられていた。各売り場のマネージャーは自分の売り場を閉店後、退出前に閉店チェックリスト用紙にチェックを入れながら歩き、チェックリストを店長もしくは管理担当次長に提出してから店を出る。

 最後に店を出る店長もしくは管理担当次長は、提出されたチェックリストを確認したあと、再度火気を取り扱う場所、たとえば飲食店や惣菜調理場、社員食堂調理場などを重点的に再度チェックして退出する。だから閉店後の売り場巡回は日常業務でもあった。

「最初は気持ち悪うてな。しかし店内は非常誘導灯があっちこっちについとって、懐中電灯がなくても歩けるほど明るかった。それでも懐中電灯を振り回しながらわざと鼻歌まじりに回ったんやけど、まったく何もなかったな」浅井はたばこの煙をフーと吐き出した。

「しかし変なうわさのある店で、おまえも度胸あるな」感心しながら生ぬるくなったコーヒーをすすった。

「夜のマネキンいうたら想像するだけでも気色悪いやんか。そやけど変な物音や変な動きをするマネキンもなかったし」

「衣料品にかけとる白布カバーは動かなんだか? 以前、オレも店にいたとき、巡回中、カバーの掛けかたが中途半端だったのか、床にパサリと落ちたことがあったんだが肝を冷やしたぜ。隙間風のせいかも知れんけど、あれはドキッとするで」早瀬はマンモスでの体験を思い返しながらつぶやいた。

「全く動かずや。何も無かったわ。これで幽霊騒ぎは全くのデマやと身をもって確信したな」

 その夜、有明百貨店のすぐそばの焼鳥屋で酒を酌み交わした。