三.たてがみ ①

「次長、先日はエライ目にあいましたね」

堀はビールの泡を口の周りにつけながら、さも深刻そうな顔をして早瀬の顔を覗き込んだ。

 退社後、下通り商店街にある紀伊国屋書店へ立ち寄り、店の二階でダイレクトマーケティング関係の本を探していた。そこで偶然、係長の堀と出くわしたのだ。堀は早瀬と目を合わせると軽く会釈して去ったあと、しばらくしてから近寄ってきて「ちょっと行きませんか」と誘いをかけてきたのである。早瀬も飲みたい気分だったので「軽く」ということで焼鳥屋に入った。

 下通り商店街は熊本一の繁華街であるだけでなく、博多の天神に劣らない九州屈指の商店街であることが地元の自慢である。

 とくにこの下通りのアーケードは高い位置に作られており、両サイドの商店の三階まで見渡せる。三階まで見えるということは個々の商店にとっても三階を売場にしたり、または店舗として賃貸に出すことができメリットは大きい。通行する人々にとっても天井が高いと開放感にあふれ、圧迫感もなく気分がいいもののようだ。

 この広い商店街にはブティックなど最新流行の店と、江戸時代から続いているような桶(おけ)専門店まで並んでいる。新旧混合の魅力がある。

 車道にすれば四車線以上もあると思われるこの広い通りが、平日でも夕方になると混んでくる。ただ、最近は郊外に駐車可能台数が数千台といわれる超大型ショッピングセンターが次々とでき、九州新幹線の開通で博多まで便利になり、また低料金が売り物の高速バスの充実などにより、ひところに比べて人通りは減ったといわれる。しかしまだ日曜・祭日は人混み状態が生じる。

 また一日の遅くに、商店はとっくに店を閉めた後でもこの通りは人通りが多い。

 商店街のアーケードの照明は深夜でも明るく、居並ぶ専門店のシャッターが降りていなければ昼夜の感覚を失うほどである。

 下通りの周辺の横丁にはバーやスナック、大衆酒場などの飲み屋がぎっしりとあり、通りは少々酔って大声を出して歩く若者やサラリーマン・OLで占められる。ショーウインドーには十一月に入ったばかりというのに早くもクリスマスツリーの飾り付けがされはじめていた。

 堀に連れられて入ったこの焼鳥屋は、かつて早瀬が勤務していたマンモスの熊本での買収店舗「有明百貨店」のすぐそばであった。

 

 マンモスが盛んに全国展開していた頃、マンモスは九州の地域スーパー「アイニード」に手を伸ばし、最初は提携というかたちで近づき、その後幹部社員を大量に派遣し、さらに仕入れの一体化を図るという名目で商品部を実質的に支配し、結局一年後には本体を乗っ取ってしまった。

 もともと熊本には戦後二大デパートがあった。鶴屋百貨店有明百貨店である。昭和二〇年代の終わり頃から四〇年代にかけては、有明百貨店が地域一番店であった。戦後の消費拡大と高度成長期の波に乗って有明の売り上げは上昇の一途をたどり、さらに増築に増築を重ね、高層化していった。そして地上九階、地下一階、売り場面積約二万㎡という、当時としては地域一番の巨大店舗になった。

 そういった中、昭和四八年十一月、有明百貨店三階の階段踊り場付近から出火し、消防施設の不備な建物を火と煙が充満し、なんと一〇〇人以上が焼死するといういたましい事件があった。