ファラオの寝台①

「次長、ちょっと来てください」

  いつも薄ら笑いをした顔にみえるメタボリックの木下部長が声をかけてきた。

 この薄ら笑い顔は人によっては不真面目と受け取られるだろうなと、入社当時思ったものである。それに痩せ型の織田社長は太っている社員を嫌うといううわさも聞いたことがあり、織田が彼を気に入っているのは社内での不思議の一つであるらしい。

  この薄ら笑いは会議の場で重要な案件を話している時でさえ変わらないし、しかもマーケティング部が突き上げられているときにでも、変わらない。役員の中には社長の威を借りたふてぶてしい男、と見ているものもいる。

大体どんな会社でもトップの力が強いとその下には必ず、その威を借りる役員や社員がいるものである。トラの威を借りると仕事が表面的にしてもうまくいくことが多いし、そしてそれは弱者が仕事をスムーズに進め、生き残るための重要な手段ともなっている。

 早瀬は木下の薄ら笑いはここまでとんとん拍子に出世した自分を誇るとともに、誰が何を言おうと後ろには社長がついているという自負、そして逆に自分の弱さを隠す手段ではないかと見ている。

  このポーカーフェィスは、社長決裁の場でも同じであった。織田に叱られるとほとんどの役員・幹部社員は頭を垂れ肩をすぼめて消え入るばかりの状況となるが、木下の場合は背筋を伸ばしたままである。ただ、視線は織田のネクタイの結び目か、その少し下あたりにいっていることに気づいた。時には激しく叱られることも有ったが、その表情はつねに同じだ。まるで叱られているのは部下が悪いのであって、自分には何の責任もないという顔をする。いや、それは顔だけではない。実際に責任回避という点では際立っていた。 

あるときカタログ発行部数が当初の予測ミスでかなりの不足が出たが、そのミスの責任は部下にあるというような発言をしたし、逆に企画が成功して売り上げが確保できたときにはまるですべて自分で考えて実行したかのように言動したのである。

しかしこのあたりはマーケティング部員だけでなく多くの社員の知るところであり、社長がそのことになぜ気づかないのか、なぜ指摘しないのかも不思議の一つであった。

よく考えて見ると、木下の横で同じように叱られていながら、部長を観察する余裕のあるオレも大したものだなと早瀬はひとり苦笑した。

だが、早瀬のできない芸当が一つある。叱られた後の彼の動きである。たいていの役員や部長は、これだけ叱られると肝心の稟議書を黙って引き取ってすごすごと帰るというスタイルとなるが、木下の場合は織田がひとしきり叱り終った頃、まるで何事もなかったようにおもむろに「今後十分注意致します。それでこの件ですが・・・」と急転回して話を進めるのである。

  織田の性格としては(急ぐ案件ならば、いくら叱ったとしても稟議書を持ち帰るな。へこたれずに食いついてこい)というのが本当のところであるに違いない。だから木下のこういった態度は逆に好ましいのかもしれない。太っていても織田に気に入られている一端が窺われるのである。

そういえば社内にはもう一人織田の「お気に入り」がいる。社長室長の森だ。森は地元熊本大学を卒業後、会計事務所に勤務。その後サフィールに中途入社。そのためか数字に強いという話だ。まだ三〇歳の若さで社長室長という重要ポストにいるのは、明らかに織田の好みである。

森が出席した会議に出ていて驚いたことがある。織田の前では居並ぶ役員や部長連中はほとんど発言しないが、この森は臆することなく意見を述べているのである。横で聞いていて、そんなことを言うと織田が怒りだすのではないかと周りのものがヒヤヒヤしたこともあった。

ところが織田は森が間違ったことを発言しても、まるで自分の子供を諭すように噛んで含めて話をする。森以外の誰かが真似てそういうことを言えば、たちまち織田からきつい一発が飛んでくることは確実である。早瀬の部下の話によると織田は一人息子を五年前に病気で亡くしたが、どうやら森を息子にダブらせているのではないかという。

(そういえば、森は木下とは正反対に痩せ型で背も高くスラリとしており、織田自身に体型が似ているな)と早瀬は思った。メタボリック木下と、スリムタイプの森の両方を使いこなすとは面白いものである。