ファラオの寝台⑥
「仕事の話という訳じゃ~無いんですがね」メタボな体を後ろにそらせて木下が言った。
「はあ」
「うちの会社には投書箱というのがあるのは知っているでしょう?」
「悪名高きですか」
「次長がそんなこと言ったらいかんですね。建設的な意見の場合もあるんですから」
「すみません」軽く頭を下げた。
「いやね、今日の話はその悪名高きかもしれんのですが、次長のことなんです」
織田は商業高校を出てから現在の通販業を始めるまでに、一〇以上の仕事を経験してきたという経歴の持ち主である。
その一〇以上の仕事の中には営業マンという仕事も入っている。その営業マン時代に人間の裏表をつぶさに見てきた、と機嫌のいい時に早瀬に話したことがある。その裏表とは、
「人間いうもんは陰で何しちょるかわからん。平気で嘘ばつく。上司が見とらんとすぐにさぼっとるたい」ということであった。
例えば、朝礼時には「今日はどこそこを訪問し・・・」と一日中営業に回る様なことを言っておきながら、元気よく会社を飛び出した後は、仲間と示し合わせて行きつけの喫茶店に「集合」。 モーニングを食べながらゆっくりとスポーツ紙やマンガ雑誌を読み、仲間とおしゃべりし、それからおもむろに出て行くのである。出ていっても訪問企業との時間待ちと称して、パチンコ店に入ったり、車を日陰に停めて昼寝をしたり、時には冷暖房のきいた映画館に入って午後を過ごすことさえある。
中には集金した金を使い込む営業マンや、得意先に出すリベートや報奨金を抜き取ったりするなど、社外では誰も見ていないのをいいことに、したい放題の者もいたという。もちろんすべての営業マンがこういうわけではないが、こういった様子を見るにつけ、人間というものは陰では何をしているかわからない、という意識が強固になったようである。
だから織田が独立して会社を設立し、最初に社員を雇った時には頭のよい人間でなくても、正直でいうことを素直に聞く者を採用していったといわれる。
社員を信用しないということは早瀬も一度織田の口から直接聞いたことがある。
ある時、部下を業務上の打ち合わせで東京に行かすことになった。課長代理以上の管理職者の出張はすべて社長承認事項であるが、係長以下は本部長決裁となる。このときも本部長の承認を得ていたが、ある案件を織田に説明しているとき、つい「A君を行かせます」と言ってしまった。そのとき織田は、
「係長か主任も一緒に行かせなさい」と指示してきた。早瀬が驚いて、
「内容的に見て二人行く必要はないと思いますが」と言うと、
「一人で行ったら何をするかわからんじゃないか。二人で行かせて互いに牽制させなきゃだめだ」
結局マーケティング部でもそれ以来、どのような出張にも二人以上で行くことになったのである。ついでに述べておくと、宿泊場所がいいのだ。その土地のトップクラスのホテルが人事部によって手配される。
早瀬が初めて東京に出張したときもそうだった。オークラホテルであった。これは管理職だけではない。一般社員でもこのクラスのホテルだ。ある時、木下に「もっと安い気軽なビジネスホテルのほうがいいんですがね」というと木下は、
「これは社長のありがたいご配慮だよ。地方の一通販会社の社員が自信を持って相手企業に会えるようにするということと、こういったトップクラスのホテルを経験させることが社員を育てる上でいずれ役に立つということだ」
とそれぐらいのことが分かってないのか、といわんばかりであった。
たしかにこういったホテルに泊まると何か自分が立派になったような気がして自信がみなぎってくるような気がするし、こういった立派なホテルに泊めてくれるという会社に、感謝の念さえ湧くから不思議である。
東京で業者と面談したあと別れ際に、社交辞令できまって聞かれることがある。
「今日はどこにお泊まりですか」
このときに「田町のビジネスホテルです」と答えるより、「新宿のハイアットです」と答える方が気持ち良いのは明白である。聞いた取引先も思わずハッとして、この地方の会社を見直すことになる。しかも管理職でなく平社員にさえも泊まらすとは・・・!というのは木下の説明であった。しかし、いま時、ハイアットに泊まっているからといって評価するような会社があるかどうか。よほど小さな会社相手なら通用しそうであるが。単に織田の一流好みがなせるものであろうと早瀬は思っている。ただ、この織田の感覚は早瀬が前に勤めていたスーパーの社長の感覚とはまったく違うものである。
これはそのスーパー勤務のころ、親しかった元秘書室長から直接聞いた話だ。ある東京の有名ホテルに社長と宿泊したときに、支配人がその秘書室長の部屋を訪れてきて「社長様にこれをお渡しいただきたいのですが」と、ホテルの紙袋を渡された。中身はバスローブやバスタオルなど宿泊室内の用品一式であった。
「大変申しあげにくいことですが、社長様に室内のものはお持ち帰りにならずにそのまま部屋に置いていっていただきたいと思いまして」
元室長は意味するところに気づいて顔が赤くなったという。そのホテルは東京出張時の常宿としていた様だが、毎回部屋のものを持ち帰ってどうするつもりであったのかいまだに分らないと言っていた。まさか店で売るはずはないし・・・。
同じ創業社長であってもこれだけ違い、そういった点でも織田社長を尊敬していた。