ファラオの寝台⑨

「私が投書されたのですか?」信じられない気持ちであった。

「これで次長も社内で認知されたということになりますか」応接室の中国、明時代の大きな花瓶を見ながら木下は薄笑いの顔で言った。

「勘弁してくださいよ。別に悪いこともしてないのに。本当ですか」

「いやいや名指しされた相手は生駒さんで、次長の名前はついで、というところなんですよ」相変わらず薄笑いであった。

「何ですか、ついでというのは」(投書についでも何もあるものか)という腹立たしい気持ちを抑えながら声を出した。

「内容はですね、生駒が夜スナックでアルバイトしているのはおかしいのではないか、就業規則違反ではないかということを綿々と書いていましてね、その最後の部分で生駒は早瀬次長と親しそうにしており二人の関係は怪しい、といったことを書いているんですよ」

「何と、バカバカしいですね」

「わたしもそう思ったので、社長には根も葉もないと申し上げておきました」アームチェアーにふんぞり返りながらお仕着せがましい言い方である。

「夜のアルバイトについてはどうなんですか」早瀬は態勢を立て直しながら聞いた。

「先ほど生駒を呼んで聞いてみたところ、親類のおばさんが経営しているスナックを、忙しい時だけ手伝いに行っているというんですよ。アルバイトしているという訳ではないと、はっきり言っていましたがね」

「それは微妙な話ですね。単なる手伝いか少しでもお金をもらっているかが分岐点ではないですか。わたしからも話を聞いておきましょうか」

「いやいや、そんなことをすればまた投書されますよ。投書者はたぶん部内の人間と思いますから。これからはできるだけ生駒には近づかない方がいいと思いますね」

 

 応接室を出た後、早瀬は腹立ちとむなしさの入り交じった、やりきれない気持ちになった。会社を抜け出して公園か海辺かで過ごしたかった。そういえば高校生の頃、両親の喧嘩やいやなことがあると、自転車に飛び乗って近くの水前寺公園やちょっと足を伸ばして熊本城へ行ったものである。しかしこの会社では昼休みを除いて、勤務時間中の外出は外出届を警備室に出さなければならない。

  社内には先ほど述べたように応接室も少なく、面談テーブルではお茶一杯も出ない。問屋の営業マンが来てちょっとお茶でもといって外へ出る時にも、知人が訪ねて来て外で会う場合にも届けが必要である。もちろんその届出書には上司のハンがいる。 

 その上、いつ社長がぶらりと部屋に訪れてきて「○○君はどこへ行った」などと聞かれるとまずいので、上司もなかなか許可しない。何しろ課長代理以上の管理職者の出張・休暇届け等はすべて社長決裁であるから、自分に届けも無くて席にいないというのは、織田としては容認できないことだと入社時に人事部長から聞いていた。織田が必要とするときにはいつでも必要な社員が集まるべしというのである。織田お気に入りの森室長、木下部長、佐古経営企画室長などには深夜でも早朝でも自宅に電話が入るということも聞いたことがある。

 (出世はしたいが、夜中に社長から電話が入るのだけは願い下げだな。おちおち飲みにも行けないし)というのが早瀬の正直な気持ちである。