六.左遷 ④

 打ち上げ会から一週間ほどたった水曜の午後のことである。

「次長、ちょっと」

 また何事かと思ってメタボの後に従って応接室に入った。

「次長、昇進・異動ですよ」木下部長はわざと深刻そうな顔をしているが、内心笑っているような感じである。

「え、誰がですか」

「次長ですよ」早瀬は部長の顔をじっと見つづけた。

「物流本部にある顧客対応部の部長に昇進です。おめでとう」木下は丁寧な口調でニコニコして告げた。本当に昇進を喜んでいるのか、目障りなのがいなくなるので喜んでいるのか、そのあたりはわからない。

「来週の月曜着任ということです。あと土・日を含んで四日ありますから、こちらでの引継ぎをその間にしてください。向こうでの引継ぎは着任日の月曜日と言うことです」

「後任はだれですか」

「いや、実は空席でしてね。ですから竹中君と私に引き継いでください」

「そうですか、でいまの顧客対応部の荒木部長はどこへ行かれるのですか」

「荒木部長は監査部に移るということです」

「そうですか。荒木部長には何かあったんですかね」

「さーそれはわからないが、なにぶんあの部は二〇〇人以上の女性がいる部で、これまでいろいろと問題があったからその線じゃないのかな」

「はぁ、二〇〇人以上もいますか。それは大変ですね」まったく大変だと頭の中で計算した。二〇〇人の女性が年に一度投書したらそれだけで二〇〇件か。堀の話によると社内の管理職で投書されたベストテンの上位が荒木部長だったということを思い出した。これは大変である。

「ま、その点、次長は物柔らかだからやれるんじゃないですか」木下は早瀬の計算を察したかのように慰めてきた。

「いえいえ、で、いつ発表ですか」

「明日の朝礼だと思うよ」

 

 サフィールに入社してまだ一年もたたない。マーケティング部や通販会社の仕事がわかってきてこれからという気もしないではなかったが、昇進なら不満はなかった。それに女性の多い職場そのものには戸惑いはなかった。スーパーのマンモス時代には、電話交換室や店のレジ部門などの女性の部下を持ったことがある。しかしそれもせいぜい数十人までであった。だから二〇〇人以上となるといささか勝手が違う気がする。どれだけ投書されるかわからないが、一つやって見るかという気持ちが高まった。

 自分の席に戻り書類を整理していると、木下部長秘書の山本が稟議書を持ってきて、小声で話しかけてきた。山本は婚約者がいて年内に退職という話をきいたが、早瀬の入社以来いろいろと気を使ってくれている。時には木下と早瀬の二人の秘書という感さえあった。

「次長、異動の話、聞かれましたか? 実は投書されてたんですよ。社長から部長宛てに電話があって、そのあと秘書課のひとみさんが投書を持ってきてくれたんです。部長はご覧になったあと、『返してきて』と投書を私に渡されたので、社長室に持っていく途中で読みました」

「そんなことしたら」

「大丈夫です。そこにはワープロの字で次長と生駒さんが怪しい。生駒さんの手伝っている店から次長が出てきた、なんて書いていました。ひとみさんに聞いたら、社長がご覧になって『早瀬君は物流本部に行かすか』とおっしゃってたそうです」

「え~、そう」心の動揺を押さえながら、うなずいた。

「それからもうひとつ、『普通なら次長のままか、降格だけど顧客対応部は問題が多いから、一つあっちで部長として力を発揮してもらうか』ですって」山本は早瀬本人に対してではなく第三者に伝えるかのように、社長が言ったという言葉を平然と伝えてくれた。

 この異動の原因は、投書であった。早瀬はついいままで「昇進か」と胸を弾ませてたのに、意外なことを聞き急に気が滅入ってきた。実は左遷か。そして「投書か!」振り向いて熊本城を見ながらつぶやいた。