六.左遷 ③

 翌朝、すこし気だるい感じでデスクに座っていると、

「次長、おはようございます」

 真弓がいつも通りの明るい声で挨拶してきた。女は魔物だな。しかしおれも悪魔か!

 昨夜はとうとうホテルに行ってしまった。

妻以外の女と寝たのは結婚以来始めてであった。しかも部下の女性とは・・・。

(俺も落ちたもんだ。まじめを売り物にしてきていたのに・・・)

 子供が出来てからは妻とも年に数度しか接していないが、若い女性の肌は弾力と張りがあり引き込まれる感触があった。

(部下とするとはどういうことだ。いいかげんにしろ)

という自省の一方で、身体のほうは昨夜のことを思い出すだけで反応した。

「次長、おはようございます。昨日はあれから真っすぐ帰りましたか? さみしく残された僕のほうは彼女の来るまでと思って待っていましたが、結局閉店までいましたよ」

堀が目の前に立っていた。一瞬言葉を失ったが何とか切り替えした。

「僕と一緒に早く帰れば良かったじゃないか」

「次長、そのお言葉は少し違うんじゃないですか。人質にしたのはどなたでしたっけ。それに彼女がきたら次長のために釈明してあげようと思っていたんですから。結局彼女は来ませんでしたがね。ママが『来るといってこなかったことはいままでになかった』と言ってましたが、どうしたんでしょうかね。あとでとっちめてやろうと思っているんですが」

「もういいよ、昨日のことは」

 部下と関係したということが大きな固まりになって頭の中を回っていた。不倫ばやりの昨今、こんな事例は世の中に掃いて捨てるほどあり、気にすることもないというささやきも頭の中にはあった。しかしこれまでマンモスでの訓示を守ってきたのに、いまになって・・・という悔悟の気持ちも脳裏にはあった。

 これからは注意しないと、社内で真弓になれなれしくするとすぐに投書されそうである。(真弓に対しては以前にも増して、直接仕事を頼むのはやめとこう。竹中や堀を経由してやらそう。顔も見ないようにしよう)

 早瀬は書類に目をやりながら頭の中ではこんなことを考えていた。

 

 三月の社内販売会が大成功のうちに終り、残った商品の処分も完了し端数在庫がきれいになくなったので、四月の中旬に部員の慰労をかねて打ち上げ会が開催された。珍しく本部長も部長も顔を出しそれぞれ一席ぶった。部員たちは神妙な顔で聞いている振りをしていたが、飲み始めると、

「本部長や部長は、今回まったく何の手伝いもしなかったばってん、それをいまごろのこのこ出てきて何いっとると」

と小声で言うものがでてきた。

 本部長らも何か違和感を感じたのか「急用ができて」とそそくさと退出してしまった。

 早瀬は立場上、帰るわけにもいかず席で一人で食べていた。そこへ真弓がやってきて横の空いてる席に座って黙って飲み出した。

 若い連中と騒ぎながら飲んでいた堀もそばにきて、酌をしながら冷やかすように言った。

「お二人サン、どうしたんですか、黙って。まるでお通夜の席ですよ。真弓ちゃん、あまり次長といると次長に迷惑をかけるたい」

「いいの」

「よかぁないですよ。これだけ部員がいるんですから、また投書されたら次長は左遷ですよ」堀は声をひそめて諭すように言った。

「わかりました。向こうへ行きます」真弓はいつものミニではなく、薄いピンクのフレアースカートだった。そのスカートの端をつまみながら立ちあがって去った。

 堀は本部長らが帰った席のお銚子をひとつずつ振って、酒がまだ残っていれば他のお銚子に注いで満タンにしていっていた。それを両手に持ってひょろひょろと去った。(せこいことするなー)と思いながら(ま、ゆっくりたべようか)と刺身を紫に付けていると、目の前に白い太腿が突然出てきた。宇川だった。お酌をしにきたのである。

 いつもは地味気味の宇川が今日はかなり短いスカートをはいている。一瞬目のやり場に困ったが、さりげなく声を掛けた。

「あ、ありがとう。今回は宇川さんにも大変お世話になったね。飲んでる?」

「次長のお流れを頂戴します」

「お流れ、ってそんな言葉知っているの。姐さんみたいだよ」早瀬はわざとらしく笑い、きれいなコップを探してお返しのビールを注いだ。宇川は自分に注がれたビールに口をつけると何か言いたそうであったが、すぐに離れていった。

 しばらくして堀がまたやってきて、口に食べ物を入れたままもぐもぐと言った。

「次長、席を変えますか」

「いや、今日はカラオケまではみんなと付き合って、帰る」

「そうですか、じゃーそのあとでどこかへ」そう言って、早瀬の返事も聞かず堀は騒いでいるほうへ去った。