四.ブロード・キャスティング ⑦
「次長、商品部に連絡しましょうか」
堀が話を聞いていたらしく、近寄ってきた。
「うん、そうしてくれないか」
「部長がいないと、きまって社長が来られますね」
竹中課長が椅子に座ったまま振り向いて話し掛けてきた。
「様子を見に来ているのだろうな」
早瀬はそう言いながら、自分の言葉で少し気分が塞いだ。そうか、やはり俺の仕事ぶりをチェックに来ているのだろうな。部長がいなくて大丈夫かということだろう・・・。
「部長から電話があったら僕につないでよ、報告しとかなきゃ。それと生駒さんに処分チラシDM企画書を早急に作るように言っておいて・・・」
「失礼します。次長、企画書の件を聞きましたが、稟議書で提出したのと違うのですか」急に頭上から声をかけられた。生駒の声ということはすぐにわかった。
「あ、詳しいことは課長か係長に聞いてくれないかな」
早瀬は書類に目を落としたまま、顔も上げずに返答した。幸い、あの店に行ったことは社内の誰にも見つかってないようだった。しかしトンボの目や耳がこの室内には満ちている。つい、そっけない言い方をしてしまった。
「そうですか」
生駒はしばらく立ったままでいて、早瀬が顔を上げないのをにらむようにして見たあと、不満そうに離れていった。
早瀬のほうでは、最近は意識して直接声をかけないようにしているが、そんな雰囲気を生駒はとっくに気づいているようである。
早瀬にしても投書のこともあり、できるだけ仕事以外のことでは話をしないようにしている。もともと組織論で言う命令一元化の原則からいうと、彼女の担当している仕事に関して課長や係長を経由して指示するのが当然である、と自分を納得させていた。
前方で座っている生駒の横顔をぼんやりと眺めながらマンモスに入社したときのことをなぜか思い出した。
大学を卒業してマンモスに入ったとき、新入社員教育の場で人事教育部の係長が次のように言っていた。入社時の教育で聞いたことはほとんど全て忘れているが妙にこのことだけおぼえている。
「一つ言っておきます。お店には若い女性が沢山います。お客様だけではなくレジ係りを中心として各売り場にも高卒の若い女の子が大勢います。お店の女性は売り物ではありませんが、いわば当社の商品です。『店の商品には手をつけないこと』をよく覚えておいて下さい。とくにみなさんは半年もすれば早い人は売り場の一部を任され、数年で主任、そして店次長、店長へとすすみます。そして当社の幹部となる人材です。すぐに彼女達の上に立つ地位につきます。昇進しても常に『部下には手を出さない』ということを守って下さい。上司としての特権を利用して部下に手を出すほど卑劣なものはない、ということを強く言っておきます」
この趣旨のことは、その後も折に触れ訓示された。当時、急成長期のスーパーでは大卒は幹部候補生であり、本人たちにもそれだけの自負があった。だから同期入社の仲間のその後を思い出しても、早瀬の知っている限りでは、店の女性とまちがいを起こす者はいなかった。もっとも、古い店長や他社から転職してきた店長がそういうことを引き起こしたということはいくつか聞いていた。しかし早瀬の同期やその前後の大卒社員にはそういう「不祥事」はなかったように思う。
また実際には女性店員と問題を一番起こすのは取引先の営業マンであることが多かった。営業マンは自分のところの商品をできるだけたくさん売ってほしいし、陳列も目立つところにしてほしい、そしてたくさん仕入れてほしい、売り場の自社商品の品切れが起きないようにケアしてほしい・・・、そういった打算的な理由でスーパー各社のチェーン店の女性店員に近づき、少しでも親しくなろうとする。時にはお茶を飲みに連れて行ったり、食事させたり飲ませたりする。女性側はその魂胆を知ってかしらいでか、自分自身に営業マンの関心があると勘違いしてしまう。そういった齟齬から不祥事が起きてしまうようであった。
その意味では大卒対象の新入社員教育の成果があったというべきかもしれない。
早瀬はそういった教育を受けてきた人間であった。