五.社内販売 ③

 早瀬が初めて女性とデートしたのは、高校一年になってからであった。水前寺公園で待ち合わせをした。手紙を出してこの場所に誘ったことを覚えている。文面は忘れた。公園で女子高校生の彼女が来るかどうかドキドキしながら待ち、こちらへやってくる姿を見つけたとき、胸がパンクしそうな気分だったことを思い出した。そのときは公園を並んで歩けなかった。彼女が三メートルも離れて斜めうしろからついてきた。

 いまでも思い出しておかしいのは、何の木だったか忘れたが葉のいっぱい茂った低い木のそばに立ち止まってぽつりぽつりと話をしたとき、二人は木を中心に対角線になって、木の周りをぐるぐる回っていたことである。結局二人は一メーター以内に近づくことはなかった。近くを通った女性がそんな二人を見てクスクス笑っていたのを覚えている。

 その子と二度デートした記憶はない。

 次にデートしたのがまたおかしい。もっともこれがデートとは自分ではいまでも決して思っていないのだが。それは高校二年の頃、近所に同じ年のかわいい高校生がいた。高校は別であった。その子とは小学生の頃から遊んだ仲間で、別に恋愛感情はなくお互いに両親も親しい仲であった。あるとき映画の話をしていて、「一緒に見に行こうか」ということになった。彼女と二人だけでどこかに行くのは初めてであったが、幼友達であり女性ということを全く意識はしていなかった。

 だから母親に平気で「今度の日曜、恵ちゃんと映画に行くから、お金!」と言ったことを覚えている。その前日の土曜だったか父が「下通りまで一緒に行かんと」と珍しく早瀬を連れて路面電車に乗った。熊本城の見える停留所で降り、鶴屋百貨店へ入り革靴を買ってくれた。生まれて初めての革靴であった。

 この革靴が先の丸いドタ靴というようなもので、戦前人間で軍人上がりの父にとってはこれが普通の靴と思ったらしい。もっともそのときは早瀬自身も靴の知識は無く、初めての革靴というだけで嬉々として履いたものである。東京の大学に入ってこの靴はおかしいと気づくまでは・・・。

 しかしこれは彼女との「デート」(本人はそう思っていなかったが)のために父が気を使って買ってくれたものであろうと何年かあとでやっと思い当たったが、気づいたときには野暮ったいので捨てた後であった。父が亡くなったいまは、懐かしく思い出される。

 この「デート」らしきものにはおまけがある。

 映画館は、ほぼ満員であった。彼女が売店でお菓子と飲み物を買ってくるのを待って、やっと前のほうに二つあいた席を探して並んで座った。映画を見ながら静かに食べていると、しばらくして後ろの席から声がした。

「恵子、これもお食べ」びっくりして振り向くと、彼女の母親が座っていた!監視役であった。そんな時代の思い出であった。

 早瀬がまとも(?)に女性とデートしたのは大学に入り四年生になってからだ。いまなら晩生(おくて)といって笑われるだろう。デートする女性がいなかったということで、もてなかったとは思っていない。中学三年の時には二年生の後輩からラブレターをよくもらったし、県下一の進学高校に入ってからも他校の女学生から手紙が来たこともあるが、女性との交際については臆病そのものだった。最初のデートが非常に疲れたこともあるし、毎月の小遣いも少なかった。あんな疲れることをして金を使うより、寝そべって本を読んでいた方がましだというのが、負け惜しみでなく本音であった様に思う。ただ、映画は好きで自転車に乗って映画館の多い新市街によく通った。