五.社内販売 ⑧

 堀は約束通りその日一杯、社内を走り回って稟議書をまとめあげた。こういったことは堀の独壇場である。社内の各部署に顔の聞く堀でなければこれだけ短時間にはまとめられないだろう。

 部長・本部長には早瀬が口頭で説明した。部長の木下は自分の知らないところで次長が係長と動き回っていたのを感づいており、もっと前に報告してもらわないと困るといやみを言ったが、最終的には了承した。

 給与天引きの件についても堀が人事部と調整してきたが、その内容は「社宅の家賃や組合費、そして物品の購買代金等は賃金から控除してもよい」ということであった。ただし、当社には組合がないので従業員代表と書面で協定する必要があるが、それは容易だとのことである。また、控除できる金額については、「給与との相殺の場合は本人の賃金の四分の一、または賃金から二一万円を差し引いた額のどちらか多い方の額を超えてはいけない」ということのようであった。

 

 関係部署の合意を取り付け、社長決裁も無事終わり、サフィールで初めて社内販売が大々的に行われることになった。うわさを聞いた女子社員たちは七~八割引というので待ち遠しいと言い始めて、準備を担当する部内は盛り上がってきた。

 社内販売の責任者は当然早瀬がなり、堀がサブ、生駒が帳票や売上げ計算関係を担当、そしてマーケティング部員の多くは前日と当日の準備、および三日間の開催期間中の会場整理係りとして駆り出されることになった。

 商品各部は一番大変であった。今年の秋冬カタログ商品の決裁と発注作業、そしてカタログ掲載準備などがある上に、春物の注文がいよいよ本番となり在庫確認や追加発注などの商品ケアで忙しくなってきていた。その合間に物流本部の倉庫に行き、ほこりにまみれながら端数在庫商品を全て取りだし、現品とリストを照合しあらためてリストアップするというのはきつい仕事であった。また試買商品を倉庫から出して何をいくらで買ったかの調査をし、価格の不明なものはこれもリストアップし、さらに一品毎に品名と価格を記入した荷札を取り付けるという作業もかなりの仕事量となったようだ。

  

 社内販売の開催期間は合計六日間となった。当初案では物流本部の広間で一週間陳列し、本社従業員は交代で物流本部へ買いに行くということであったが、それでは本社業務が停滞するという社長指示があり、本社(朝礼会場)で三日間、物流本部(千畳敷の休憩室の半分使用)で三日間ということになった。

 そのため、不公平が出るといけないというので陳列商品を三等分して従業員数の多い物流本部に三分の二、本社に残りを陳列することにした。カラー・サイズ・デザインなどをできるだけ公平にするというこの分類仕分けが、商品部にまた大きな負担になり担当者は不平だらけの状態で、マーケティング部にあからさまに不満を言うものも出てきた。

とくに前日は商品部担当者と早瀬以下マーケティング部担当者は通常の仕事が終わってから陳列作業に入らざるを得ず、本社では夜の一〇時ごろ、物流本部では十二時ごろまでかかった。

販売期間中、早瀬は殆ど詰めきりの状態で、事故が無い様に気配りをした。同時に昔取った杵柄(きねづか)で売り子になって商品を薦めたりしたが、堀や生駒も同じように殆ど詰めきりであった。この期間中だけは早瀬と生駒は、仕事上ではあるが言葉を交わす機会が増えた。

 結局、社内販売は大成功で約六割の商品が売れ、金額的にも目標の二千万円を大きく越し、最初は「こんなに安く売っては損だなー」と言っていた織田もニコニコ顔であった。

 残った四割の商品は乱れに乱れた惨憺たる状態であった。それを商品分類ごとに区分けして、各商品部担当者が残商品のリストアップをし、荷札を外し、また破れやほつれがないか1点ずつ点検するという大作業が残っていた。この作業はマーケティング部も手伝ったが商品を並べるよりも大変だというのが実感であった。

 最終的に売れ残った商品は東南アジアへ放出された。