七.足の細い女 ①

 物流本部長の柴田副社長は豪放磊落な野武士である。しかし単に野武士であればここまで出世はしなかったろう。実はその頭脳は明晰でかつ神経は細やかなところがある、といううわさである。人の心をつかむのがうまいとの評判もあった。しかしそれにしては、なぜか織田社長の心だけはつかみきれていないのも不思議だと陰口をたたく者もいる。

 もともと日本有数の一部上場繊維メーカーの常務まで勤めた人物であるが、取引先の織田社長に強く求められてサフィールに招聘された。入社時には将来は社長就任の約束があったという噂であったが、思っていることをはっきりというところもあって織田に煙たがられ、本社から離れた物流本部に飛ばされ、物流本部担当副社長というポストについたと聞いたことがある。

 赴任の挨拶に行くと、

「早瀬君、待っていたぞ。いろいろ有ったらしいがここでは思いきりやってくれ」

と大きな声で激励してくれた。異動になった理由を知っているらしい。

(ここに私を理解してくれる人がいる)

と、少しオーバーな感傷がこみ上げてきて早瀬は思わず目が潤むような気がした。

(みっともない!)

そう思いながらもうれしかった。しばらく本部長と話をした後、物流本部内の人事部長に庶務手続き関係を説明され、そのあとやっと三階の顧客対応部に連れて行かれた。

 物流本部は全社員の七割を擁する巨大組織である。その中心は出荷部門であり、通販商品のピッキングと出荷を担っている。その出荷部門にはパートタイマーの主婦を含めて合計一千人という大人数が携わっている。人数的に次に多いのが顧客対応部で約二二〇人、そして商品検査部四〇名という状況である。これだけの大部隊なので本社的な機能を持ち、物流総務部と物流人事部が置かれている。

 部屋に入ると一〇〇〇㎡以上もある広い部屋にモニターがずらりと並び圧倒的な人数の女性がいた。殆どのオペレーターは顧客との対応中と思われ、ヘッドホンを頭にかけ端末の画面を見ながら応対している。それでも何人かの女性は頭を上げて興味津々といった目付きでこちらを見つめていた。

 ほぼ正方形の部屋は「日」という漢字のように、窓に近い奥半分と廊下に近い手前半分に大きく分かれている。手前半分は受注担当者、奥の半分は問い合わせとクレーム担当者、および入金管理担当者という。

 受注担当者の方はパートの主婦が殆どであるのに対して、問い合わせ担当者は正社員の女性ばかりであった。後で知ったことだが、受注処理業務は単に顧客からの注文を聞く仕事であり、数をこなして一注文当たりのコストを下げることが求められているためのようだ。

 それでは問い合わせ係はなぜ正社員かと聞くと、会社の仕組みや手続きをよく知っていないと答えられないので、それだけの知識のある正社員を配置していますとのことである。

 窓際の方から前任の荒木部長が手を上げながらこちらに進んできた。小柄だががっしりとした体つきである。年齢的には五〇代前半かと見て取れた。

「や、お待ちしていました」

 荒木部長の顔は知っていたが、これまであまり口を利くことは無かった。人事部長が「新任の早瀬部長です」と紹介し「それではお願いします」と言って去った。

 物流本部においても、応接室は本部長席の隣に一室あるだけなのは本社と変わりない。ただ、顧客対応部には本社各部のように入口付近に面談テーブルはなく、奥の窓際の隅にミーティングテーブルがあるのが見えた。外部からの客は少ないので面談テーブルは不要なのだろう。オペレーターの居並ぶ通路で立ち止まって挨拶した。

「早瀬です。よろしくお願いします」頭を下げた。

 同じように荒木部長も挨拶し、「どうぞこちらへ」と付け加えて、窓際の部長席に早瀬を誘導した。部長席の前には折りたたみ椅子が一脚置かれている。

 部長のデスクの背面は壁面いっぱいのガラス張りで、その窓から見える風景は民家の屋根と、遠くに初夏の阿蘇山があった。阿蘇は五岳といわれ、最も男性的で有名な根子岳(一四三三m)、高岳(一五九二m)、中岳(一五〇六m)、烏帽子岳(一三三七m)、杵島岳(一三二一m)があり、中岳はいまも白煙を薄くたなびかせながら活動している。

 阿蘇の景色を見ながら、折りたたみ椅子に座ろうとすると「いや、早瀬部長、こちらの席へ」と、荒木は部長デスクに座るようにすすめた。

部長デスクにL字型に接して座っていた女性が立ちあがって、こちらを見て会釈した。

「早瀬部長、秘書の斉藤さんです。この部のことは私よりもよく知っていますので頼りになりますよ」左手で示しながらにこにこして秘書が紹介された。

「斉藤です。よろしくお願いします」斉藤は、後で知ったことだが三〇近くてまだ独身とのことである。痩せ型で長い髪が肩にとどいておりまさに気品と有能な感じを漂わせていた。才媛かもしれない。

「こちらこそお世話になります」

 早瀬は(この席の配置はよくないな、いつも俺の横顔を見られているような気がする。しばらくしたら机の配置変えをしよう)そう思いながら軽くお辞儀をした。

引継ぎは二時間程度で終わった。