四.ブロード・キャスティング ⑤

「次長、決裁や」部長が大きな声を自席からかけてきた。堀との話が少し長引いてしまったようだ。かつての上司と部下が逆転したいま、部長と堀はお互いに敬遠しているようなところがあった。その上、早瀬と堀が親しそうに話をしているのがあまり気に入らないようで、そういうときに限って何かの用事で呼ばれることが増えてきた感じが、早瀬にはしていた。

「はい。えーと、ユーザー分類の件ですね」

 部長のあとから急いで階段を上がった。

「お待ちです。すぐにどうぞ」

 社長室に入ると井上が待っていて声をかけてきた。本部長はすでに社長の前に座ってこちらを見ていた。

「失礼します」

「失礼します」早瀬も木下に続いて言った。

「おう。ユーザー分類ができたか」

「はい。お手元に資料を届けさせていただいていますが、ユーザーを四分類してその分類毎の顧客戦略を致したいと思っています」木下が答えた。

「早瀬君、これは君のアイデアだったが、いいかな」

「はい、いま部長が言われましたように、これまで全てのユーザーに同じようにカタログを送っていたのをより効率的な配布にし、経費節減も併せて図ろうと思います」

「そうか」

「ユーザーの分類の仕方としては、ご存じのとおり通販理論によるとRFMの利用があります。Rはリーセンシーの頭文字でこのお客様は最近いつ当社の商品を買ったか。Fのフリークエンシーはそのお客様は最近の一年間もしくは二年間に何度注文を出されたか。Mはマネタリーでその期間いくら買われたか、ということで一人一人のお客様をこれらの基準で評価していきます」

「評価点の高いお客さんは、当社にとってありがたいお客さんということになるな」

「おっしゃるとおりです。ただ、お客様は全て等しくお客様であるという考え方もありますので、たくさん買ったお客様を優遇して、少ない金額のお客様を差別するという意味が前面に出ては、と私は思いますが」木下はあまり乗り気ではない口振りで割り込んできた。もともと部下に出過ぎてもらうと困るという考えが強い。

「当社はこれまでそういう考えだったからな。木下君の言うようにユーザーを差別してはいかん」

「はい。ただ、一方では当社からたくさん買っているのに何もない、という意見のお客様も少なからずいらっしゃいますし、他社との競合上、優良顧客を囲い込むというためには必要かと思います」早瀬が反論した。

「他社に取られないように囲い込むことは重要だが、むずかしいとこだな」

「そこで今回の考え方は、基本的にお客様を差別するものではなく、ただ、お買いあげ金額や購入頻度等の多いお客様にはカタログを全て送ろうという内容なんです」

「それはごまかしじゃないか」

「先ほども少しふれましたが、年間一回程度のご注文で、しかも一回数千円のお買いあげのお客様に当社のカタログ五冊全て送る必要は無いと思います。これは今回データを取ってみたんですが、年間一万円以上買われるお客様と五千円未満のお客様に同じように五冊のカタログを送ってきた結果をみますと、圧倒的に一万円以上のお客様の方が次回買い上げ率および金額が高いという結果が出ました」早瀬はここぞとばかり一気にまくし立てた。

「・・・・・・」織田は黙って早瀬の顔を見ている。

「カタログの経費と送料は莫大なものがあります。五千円未満のお客様には各カタログの中から売れ筋を集めて一冊のダイジェスト版的なカタログを作り、それ一冊を配布すれば良いのではないかと思います」

「経費的にはどうだ」

「ダイジェストカタログは、本番カタログの写真やコピーはそのまま使えますから印刷代と紙代でいけると思います。

「いくらかかるのか」再度織田が聞いてきた。

(しまった、計算していなかった)と頭に血が上るような気がしたが、正直に答えた。

「まだ試算していません」

「だめじゃないか、数字の裏付けがないと決裁できんぞ」

「申し訳ございません」心の中ではこれでだめかと思っていたときに、

「概算では一〇〇万部発行としまして、一部一〇〇円以下となると思います」さすがに木下は経験から数字が出てきた。

「そうか、それで済めば五冊を送るより安いことはハッキリしているな」

 織田は予想外に優しい言い方で早瀬のほうを見て次の言葉を求めてきた。ほっとした。

「はい。そこで四分類ですが、最優良顧客・優良顧客・普通顧客・休眠顧客としています。

 最優良顧客は過去一年間に一万円以上買っていただいたお客様、優良顧客は同じく五千円以上一万円未満買っていただいたお客様、普通顧客は五千円未満、休眠顧客は以前買っていただいたがこの一年間は買っていただいてないお客様です」

「それだとFの頻度はどうなるのか」

「情報処理部と討議したのですが、当社の顧客の平均年間注文回数は二、五回となっていますので、今回の四段階の区分においては、頻度は無視してもいいのではないかと思います」早瀬は織田の目を見ながら答えた。

「大丈夫か」

「一応念のため、サンプル顧客を抜き出してそのお客様群をRFMと今回のフリークエンシ―を抜いたRMでどのようになるかをやってみたのですが、殆ど差が出ないという結果でした」

「人数的にはどうなるのか」

「データを取りましたところ、構成比で申し上げますと最優良顧客が約一六%、優良顧客が三二%、普通顧客が一九%、休眠顧客が残りの三三%です」

「休眠がそんなにあるのか。その方が問題だな、木下君」急に部長に顔を向け問い掛けた。

「はい、それも課題です」

「早瀬君、そうだろう」

「はい、部長と相談して早急に休眠対策を立てます」

「それで、分類してからどうするのか」

「最優良顧客・優良顧客には全カタログを送付し、普通顧客にはダイジェストカタログのみ送付します。休眠客には別途処分チラシなどで検討します」

「最優良客と優良客はいまの所、差別しない方が良いと思います」部長が補足した。

「将来的には最優良顧客には何かプレゼントか優待割引などを考えたいと思います」早瀬も急いで付け加えた。そこへ、

「そのカタログの配布の仕方で経費的には大幅な削減が可能です」社長が了承すると見て取った木下が、迎合するように言った。

「よし分かった。数字的なところを詰めてもう一度来なさい」

 結局、保留になったわけである。

 早瀬としては数字というより分類するかどうかの判断を仰ぎたかったが、いまの感触でその点は大丈夫だろうと考え、辞した。

  しかし考えて見ると削減額を計算してこなかったのは失敗であった。織田社長にはコンセプトより具体的にどれだけ儲かるか、節減できるかが重要であることを忘れていた。

 翌日、経費面での削減額を計算した修正稟議書を提出し、決裁を得た。とにかくスピードを出してやらないとそれだけで叱責されることが多いのだ。