七.足の細い女 ③

 当分は「体面」を考えて、つまり人目を考えて車で通勤することにした。その二日目の朝、まだ通勤所要時間がわからないので早めに出社すると石川次長がもう出てきていた。

「おはようございます。昨日は大変申し訳ございませんでした。どうしても用事があって、大事なときに休みまして」と頭を下げた。小柄でまだ三五歳にもならないのに頭部が薄く見るからに人のよさそうな人物である。「これなら腹黒くは無いかもしれない」そう思いながら

「いやいや、誰にでもそういった場合はあるもんです。気にしなくていいですよ。昨日は夕方に幹部ミーテイングをしまして、課長の皆さんに挨拶はしておきました」

「ハイ、恐れ入ります。今日の部内朝礼でご紹介ということでよろしいですか」

 あれ、こいつと斉藤とは通じているのかも知れんぞ、早瀬はなぜかピンと来たが素知らぬ振りで、

「ええ、結構です。こちらのことは何もわかりませんので、次長にいろいろ教えてもらわなければなりませんが、よろしくお願いします」部下ではあっても最初から偉そうにも言えず、丁寧な口調で返答した。

 席についてから、まず人の名前を覚えねばと荒木部長から引き継いだ人事カードを取り出して一枚一枚読んでいった。人事カードには顔写真と生年月日、学歴や前歴、社内人事記録、家族状態、自宅から物流本部までの通勤所要時間と自宅付近の地図などが書かれていた。斉藤のも、もちろんあった。

 斉藤美樹  熊本大学文学部卒業。 

 卒業後Aクレジット会社入社、三年後当社へ入社。当社では、最初に秘書課配属、二年後顧客対応部に異動 債権管理課配属、半年後に荒木部長の秘書。

(なるほど、熊大出の才媛というわけか。そして最初に秘書課か、道理で美人だ。秘書課配属は美人に限られているからな。そこで何かないと物流本部にはこないものだが、何があったのだろうか。債権管理課は前職からいってぴったりか。そこから部長秘書とはどういうことだろうか。ま、おいおい分かってくるだろう)

 ちょうどそのころ部屋に入ってきた斉藤を視野の中に入れながら、斉藤のカードを下に入れて他のカードを繰った。

 オペレーターの殆どは地元の高卒である。大卒の女性は部の全体で一割もいなかった。それもここ数年のことで、それ以前は圧倒的に高卒ばかりだ。会社が大きくなるのと比例して大卒が入社してきているようである。

 近づいてきた斉藤をいま気づいたかのようにふと見ると、斉藤は立ち止まって「おはようございます」と挨拶してきた。頭を下げたときに長い髪がぱらりと前に落ちた。(なかなかにスレンダーで、足も細く足首も締まっている。真弓とは別の意味でいい女だ)と思った。

 斉藤が席について何かバッグからごそごそ出しているので、そばにいてはいけないという感じがした。早瀬は立ちあがり室内を見て回ろうと思った。殆ど人のいないいまならゆっくりと見て回れそうだ。オペレーターの机の上は大半はきちんとしていたが、中には昨日慌てて帰ったような乱雑なものもあった。(これは早速注意していかねば)。ふと端末の何も映っていない画面を見ると、どの端末の画面もぎらぎらしている。何が付いているのかとよく見ると指紋のようだ。画面を指で触ったと思われる。

「次長、ちょっと来てください」

 すぐに石川次長がやってきた。手を前にした基本姿勢である。

「次長、帰るときには机の上はきちんとして帰るように指示してもらえませんか。それと、このぎらぎらしたものは何なんですか」

「はい、早速今日の朝礼で注意します。それとそのぎらぎらは、オペレーターがお客様との話し中に、画面を指で触って確認するときについたものです」

「画面に触って確認するたって、お客様に見えるわけが無いんじゃないですか」

「それが面白いことに、部長、よく見てますと女の子がヘッドホンでお客様と話しながら『この商品ですか』と言って指で押さえながら確認しているんです」

「本当ですか。画面を指さしても、お客様には見えないからわからないでしょうが」思わず笑いながら言った。

「それが、どうも通じるようでして」

「それは面白いね。しかしこれでは汚い感じがしますね。帰るときに拭いて帰るようにできませんか」画面を指で触り、あとのつく様子を確かめながら言った。

「はい、実はその指示はしておりますが、つい忘れるものが多くて」石川次長はまことにすまなさそうである。

「各リーダーが帰るときに点検するようにしたらどうですか。指示したことは実行させなくてはいかんと思いますがね」

「わかりました。それも今日指示します」

 早瀬は(これは改善すべきことが色々出てきそうだぞ)とやる気が湧き上がってきた。