九.コンクール ⑧

 この応対者もしくは担当者になって応答するのであるが、その応答部分は自由に考えていい。ただこのシナリオの主人公になりきるためにはその場面を想定して、まさに本人になりきる必要があった。早い話が役者になるのだ。早瀬はそのシナリオの会社を現実の会社とイメージできるように社長や管理職、上司・同僚の設定をし、会社や店の内部をイラスト的に描いて選手に見せて話した。

 最初は選手全員に自分で応答部分を考えてやらせ、そのいいところを採用し、修正し基本応答案を作成した。ただ、一人一人には個性があるので、基本プラス各自のプラスアルファの表現を付け加えさせた。

 早瀬は男性客の役を引き受けて自らも役になりきり、選手自身にも感情をこめて応対するよう要請した。また、責任者の末森と選手とのやり取りをもモニターし、『気持ちが入っていない』など叱責して、(また叱ってしまった)とすぐに反省することが度々であった。

 早瀬の気持ちの中には、通信販売の会社のオペレーターはまさにプロでなければならない。電話応対して注文をもらい給料をもらっているのだ。コンテストに出る以上、他社に負けるわけにはいかない。情報によると、他の通販会社は今年は出場しないようである。何とかしていまのうちに全国優勝、もしくは少なくとも全国で三位までに入っておきたかった・・・そんな逸る気というか焦りのようなものがあった。だが、もっと突き詰めて考えて見ると、功をあせっている自らの姿が浮かんできた。

 誰に対してか? 社長に対してか。ここに私がいますよということを認めてほしいのか。結局自分の栄光のために、部下を犠牲にしているのかという自責の念が起こってきたこともあった。モニターをしながらコンテストへの参加は中止しようと何度も思ったが、すでに社長の承認を得てエントリーを申し込んでおり、自分の思いつきで参加し自分の反省でキャンセルするということは、許せなかった。そこで自分のためということを捨てて、選手たちと楽しくやろうという気持ちを持つことにしたのである。

 コーチングの技法とまではいかないが、人はほめることが大切だと自分ではわかっていたので褒めまくることにした。あまり叱ってばかりいては本人は自信を無くし、やる気を無くしてしまう。それは子育てと同じだろうと思う。もっとも子育てのほうは妻に任せきりだ。ただし子供がいいことをしたりよい点数をとったときには褒めるということはしている。そういったことを思い出しながら叱るときは抑えて、よい応対ができた時には積極的に少しオーバーかもしれないと思うほどほめた。そうしていくと面白いもので、彼女たちは自分で表現や言い回しの工夫をしてくるようになった。

 早瀬は日常業務に加えて、QCサークル活動の準備とコンクールの練習立会いもあり、忙しくなっていた。そういった中、こちらに来たときから感じていたのだが、秘書の斉藤と次長の石川とは、やはり男女関係にあるようだった。入金課の黒田があるとき冗談半分に石川をからかったことがあったが、斉藤が下を向いたまま真っ赤になったのに気づいた。黒田は二人の関係を知っているに違いない。

 また、休日に平家落人で有名な五家荘に家族でドライブしたときに、村の入り口付近ですれ違った車に石川と斉藤が乗っていたのを目撃したこともある。対向車の運転手がサングラスをした早瀬とは気づかなかったようで、二人は白い歯を見せて笑いあっていた。

 人事カードをあらためて見ると、石川には奥さんも小学生の子供もいる。ふと年齢を見ると年上の奥さんであった。

 黒田にそれとなく聞いて見ると、石川は別居しているという。人事カードの住所は石川がいま一人で住んでいる住居らしい。もちろん会社には秘密であるらしいので、本人を呼んで詮議はしなかった。マーケティング部の堀に聞くと、

「石川さんへの投書は聞いたことがありませんね。人徳でしょうかね。非常に優しい人で人の悪口を言ったことがないし、誰にも公平に接しているという噂でオペレーターにも人気があるからじゃないでしょうか」とのことである。

 これだけ女性に囲まれていて、投書されたことがないというのは信じられない気もしたが、彼の物腰や言動を見ているとうなづける。しかし県内で昼間に堂々とドライブして、誰にも見つからなかったというのが不思議である。いや、すでに目撃者はいるに違いないが、それでも投書されてないのか、投書されても不問に付されているのか、もっと不思議である。

 しかし他人事ではなく、早瀬も問題を抱えていた。

 真弓のことだ。