十.ベルト・コンベヤー ⑧

 デスクに座ると黒田が手に書類を持って来た。

「部長、すみません。債権回収そのものは順調で喜んでるんですが、一人のお客様からクレームが来まして」昼休みの時間中も交代でオペレーターは勤務しているので、黒田は声を潜めてさも辛そうにぼそぼそとつぶやくように言った。

 窓際に折りたたみ椅子を寄せて座るように促した。

「どんな」

「はい、東京のお客様ですがかなり怒られてまして『すでに支払ったはずなのになんで取り立て屋みたいなところから失礼な電話が来るのか』といわれるんです。すぐにお客様の入金状況を調べましたが、やはり三年前のお買い上げ分が未入金なんです。二万三千八百円ばかりですが」

「しかし、そんなこと突然ってことはないだろう。商品発送後二ヶ月経っても入金がないと入金お願いのハガキが行き、それでもないともう一度今度は封書で振込用紙を同封してお願いし、それでも入金がないと督促状を出し、内容証明を出し、君のところから直接電話をしたりしてもいるんだろう。その間、お互いに入金したかどうかの連絡が取れるはずだけどな」

「そのとおりです。ただ、そのお客様に関してはそのあたりがいまでは不明なんです」

「お客様への対応記録は残っているはずじゃないのか」

「それが、対応した社員がすでに退職してまして、彼に連絡を取ったんですが、記憶にないって言うんです」

「記憶ったって、何か記載されたものがあるんだろう」

「はい、それも見つからないんです」

「よく調べたのか。それに何度もお客様に手紙その他を出していながらお客様からはこれまで何の回答もなかったというのかい」 

「はい、お客様にその点をご説明したのですが、郵便振込みで払っているのは確かだから、何かの間違いだろうと思って無視していたっておっしゃるんです」

「じゃー、お客様のほうには振り込み控えがあるのかい」

「何年も前の控えなんてもうわからないっておっしゃるんです」

「それじゃ、うちの入金記録で振込み人不明っていうのがあるが、それは調べているのか」

「はい、いまそれを担当者に調べさせていますが」

「そのお客様のこれまでの履歴はどうなっている?」

「このお客様はかつては優良ユーザーでして、三年前のこのご注文までは年間三~四回はコンスタントにお買い上げになっていらっしゃるんですが、その後は未入金ということでグレー顧客になり先払い扱いの客になり、その後のご注文は途絶えています」

「入金されていないお客様に対してグレー客登録するのは仕方ないな、規則だから。それにしてもその先払いのお願いがいったら問い合わせの電話があるはずだけどな。何で急にお金を先に払わないと商品を送らないのかって」

「それはなかったようです。クレーム等は履歴に記入するようにしていますが、ありませんでした。今回のお話でもそれには触れられませんでしたし」

「なんかおかしいな」

「それまでコンスタントに買い物されていたのに先払い扱いになったらどなたでも怒られますし、それもなくてその後ご注文が全く無くなりましたからね」

「どうしてもウチでもわからず、お客様も支払ったと主張されているんだからお客様を信じるしかないだろう。じゃあもう少し調べてその方向で本部長に報告して決裁を仰ごうか、俺はたとえ二万円ばかりでも決裁権はないから」

 早瀬はアメリカの食品スーパーのステューレオナルドのお店の前の大きな石に刻まれたポリシーを思い出した。スーパー勤務時代に見学したことがある。

  私たちのお店の方針

   ルール1.お客様は常に正しい

   ルール2.もしお客様が間違っていると思ったら、ルール1.をもう一度読みなさい。

 確かこういった意味の英文だったように覚えている。要するにお客様は常に正しいということだ。今回の事件はまさにこの方針を思い出す内容であった。論理的に考えて見るとおかしい点もあるが、当社にも明確な証拠がない以上、お客様を信じるのが最善である。

 阿蘇の山を眺めていると、こまごまとした人間世界の出来事を笑われているような気がする。もっと大きな気持ちでゆったりと生きて生きたいものだと思った。(そうだ、今度の休みには山鹿とか平家落人伝説の五家荘にでもドライブしてみよう)と一人つぶやいた。